襖が破れたり枠が折れてしまったらどこに頼んでよいのか悩みますよね。
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襖のことについて。
襖の歴史
日本に現存する最古の木造建築物は奈良時代に建立された法隆寺(607年ころ建立)ですが、その他にも法隆寺の東院伝法堂、唐招提寺の金堂などがあります。とくに法隆寺の東院伝法堂は聖武天皇の橘夫人の邸宅の一部が法隆寺東院に寄進されたものでありますが、これらの建物に共通していることは、空間を間仕切るものとしては壁と扉しかなく内部を仕切る建具のない、広間様式となっていることであります。そして、この時代に室内を仕切る道具としては、衝立や几帳、簾等が使用されていました。奈良時代の「法隆寺縁起并資材帖」に木製の組子を骨組みとして両面に絹布を張り衝立状に脚の上に立てたものが記されています。
平安時代には貴族の邸宅は「寝殿造り」が典型的となりますが、内部は丸柱が立ち並ぶだけの広間様式で、日々の生活や、季節の変化・行事祭礼・接客饗宴に応じて、屏風や几帳など障子を使うことにより内部を仕切り、畳やその他の調度品を置いて「しつらい」をしました。「しつらい」とは「室礼」と漢字をあてますが、この意味は「釣り合うようにする」ことだといいます。また、「障子」の「障」には「さえぎる」という意味があり「子」とは「小さな道具」という意味があります。
障子の中でも寝所に使用されたものを「衾障子」と呼び、「寝所」を「衾所」と言いました。「大言海」によれば「衾」はもともと寝るときに体に掛ける布製の「寝具」の意味であり、原初の形態は板状の衝立の両面に絹織物を張ったものであったと考えられています。これを改良して周囲に桟を組み発展させたものを壁に(副障子)応用しました。「襖」は衣服の「あわせ」=袷、また「裏の付いた着物」の意味があることから絹織物を張った「衾障子」は「襖障子」と称されるようになっていきました。ちなみに現代「襖」を「からかみ」とも呼ぶようになったのは、この後中国から「唐紙」と呼ばれる文様紙が「襖障子」に使われるようになり普及していったのがはじまりであります。また、平安時代も末頃になると、紙を漉く技術も一段と高度になり薄く漉けるようになり、採光と寒風を防ぐ新しい建具として「明り障子」が誕生しました。これが現代の「障子」であります。やがて、「襖障子」も「唐紙障子」も「障子」がなくなり絹織物を張ったものも唐紙を張ったものも「襖」と称されるようになっていきます。
注目されるのは平安時代末期に書かれた源氏物語絵巻の「東屋」には開け閉めができる「襖」がみられることであります。すでに平安末期には引き違いの「襖」が貴族の住居に登場していることが分かります。
この当時の一間は3mであり、2本引き違いであると現在の襖の倍近くはあったと思われます。そして、大工道具なども未発達で骨太であったため大変無骨で重たい建具であることがうかがわれます。
12世紀~16世紀の鎌倉時代・室町時代になると、柱と柱の間を引き違いの襖障子で仕切り、それまではなかった天井も張るようになり、部屋の周囲や全体を畳で敷き詰めることが普及していきました。この背景には公家から武士階級に権力が移る過程で住宅の機能が接客中心に変化していったことが考えられます。この時代は、公家や武士・僧侶など権力者同士が頻繁に集まり、唐物と呼ばれる美術工芸品を部屋に飾り、和歌・連歌・茶道・立花などの芸術に打ち興じることが流行し、この催しは政治的意味を持つようになり、生活の中心的な位置を占めるほどに盛んになったのです。
16世紀~17世紀の安土桃山時代には武士階級の住宅として書院造が完成しました。江戸時代へと続くこの特徴は、権力を握った武士階級の接客・対面の儀式としての機能をもったことであります。将軍を頂点にした武家の主従関係を確認するという極めて政治的な意味を持っていました。儀式の場は部屋の構成も室内の装飾も封建秩序を意識し、武家の格式や序列を演出する道具として襖障子は徹底して使われました。襖障子と貼り付け壁を連続させて部屋を取り囲む面を作り、金箔に虎、鳳凰、鷹、松などの動植物を用い圧倒的な力強さを演出したのであります。
明治の時代は政府の欧化政策のもとで建築の方向性が大きく変わっていきます。そして、それが富裕階級の住宅から一般庶民の住宅へと波及していきました。そのきっかけは明治21年に建設された皇居新宮殿でした。二重折り上げ格天井に豪華なシャンデリア、和風座敷と暖炉の組み合わせなど様々な和洋折衷の工夫がされました。また、その後赤坂離宮は洋館として建てられましたが、一つの敷地に和洋並立の形がとられたことは明治の特権階級の人々に大邸宅に引き継がれていくことになります。そして、やがて中産階級の住宅にも在来の和風住宅の玄関脇に洋風応接間をつけるといったように影響がみられるようになります。そして和室と洋間の間仕切りに襖が用いられたのです。大正から昭和にかけては庶民の生活文化が形成された時代でもありました。技術革新と大量生産と均質化を前提とした近代化により、上流階級の邸宅を飾る美術品としての性格から庶民住宅に普及するに従いしだいに実用的なものへと性格を変えていったのです。
いままで時代とともに襖を見てきましたが、在来工法の襖は登場した平安時代から現代にいたるまで基本的な構造は変わりません。われわれ日本人の生活様式が変わり、襖の形が変わっても襖が持っている知恵と製作にかかわる技術は受け継がれていきます。
襖の種類
ふすまの耐久性や機能に関係する、下地と施工方法そしてふすまの形に分けて整理します。
ここでは、どのような種類があるかをご理解頂き、詳しい説明はそれぞれのメニューでご覧ください。ふすま紙や縁・引手についてもそれぞれのメニューでご覧ください。
襖の分類
まずの下地の違いよって種類が分けられます。
ふすまの完成品になると外見からは分かりませんが、一番大切なものはふすまの下地です。耐久性や意匠・環境面でそれぞれに特徴があります。
また、施工方法も違いますので当然価格も違ってきます。お選びになるときは、下地の種類を確かめておきましょう。
和襖
組子骨
量産襖
発砲系の芯
ダンボール芯
ペーパーコアー芯
襖の張り方
施工法 | 特徴 | |
---|---|---|
和ふすま 本ふすま |
浮かし張り 薄いウケ紙を浮かし張り(廻りだけ糊を付けて太鼓のように張ること)してから、ふすま紙を張ります。高級なふすま施工では、ウケ張りを2回3回と重ね張りします。省略して水張りという方法もあります。 和ふすまは全て浮かし張りです。 |
張り替え時には簡単にふすま紙をめくることが出来るため、何回でも下地をリユースすることが出来ます。 下地とふすま紙の間に空気の層があるため、室内の調湿効果があるといわれています。 |
量産ふすま | べた貼り ふすま紙の裏面全体に糊を付けて、下地にジカ貼りします。 量産タイプはベタ貼りです。 |
張り替え時にはふすま紙をめくらず、その上に重ね貼りをします。そのために、ふすま全体の反りやシミが発生する場合があります。 |
ふすま縁の取り付け方法
施工法 | 特徴 | |
---|---|---|
和ふすま 本ふすま |
和ふすま:隠し釘・ぶっ付け 本ふすま:隠し釘 |
張り替え時には簡単に縁をはずすことが出来ます。 部材の大きささやグレードも普通品から高級品まで対応可能ですし、何回でもリユースすることが出来ます。 |
量産ふすま | ボンド付け | 張り替え時には縁をはずせませんので、ふすま紙はベタ貼りとなります。 |
色々な襖
一般に利用されているふすまの他に、次のような仕様のふすまがあります。
源氏ふすま
中抜きふすま・御殿ふすま・長崎ふすまとも呼ばれます。
太鼓ふすまには単にふすま縁を付けないというだけのものから、チリ落し切り引手、透かし貼りなどいろいろな仕様があります。「坊主ふすま」とも呼ばれます。
壁のように固定式です。落とし込みともいいます。
洋室側はベニヤの上にクロス貼り、または合板建材。和室側はベニヤの上にふすま紙を貼り、廻りに薄いふすま縁を貼り付けてふすまのように見せます。紙はどちらもベタ貼りします。
ふすまと同じ心材を使い、戸ふすまと同じ4/7の溝に収まる厚みのあるふすまです。和室×洋室タイプと和室×和室タイプがあります。縁の取り付け方が少し違いますが、大方の仕様はふすまと同じです。
襖の持つ文化的持続可能性について
12世紀前半に制作されたとされる源氏物語絵巻は11世紀前半に書かれた源氏物語を絵画化したものであります。その絵巻物の「東屋」には引き違いの襖が描かれていることから襖は千年の間生活の中で住空間を仕切る用具として使われてきたことがわかります。当時は大工道具も未発達で骨太であったため大変無骨で重たいものであったものと思われます。
他方飛鳥時代に仏教とともに日本に伝えられた紙漉きの技術は日本で独自の発達をし、平安時代には平安貴族や寺院などの需要家に支えられ薄様の紙を作るまでに発達しました。やがて武士の台頭とともに鎌倉時代から室町にかけて政治の権力が朝廷から武士へと移る過程の中で、書院造りとともに「床の間」が登場し掛け軸などの制作に使われる表具の技術も発達していきました。そして同時にこの和紙と澱粉のりを使う表具の技術により襖の独特の下張りの施工方法が確立されていったと思われます。
襖の制作は骨と呼ばれる障子のように木で組んだ芯材の上に和紙で幾重にも下張りをします。襖にとってこの下張りの工法はとても重要な意味があります。和紙を全面に糊をつけて「貼る」のではなく幾重にも浮かして「張り」重ねることにより何重もの空気の層を作ります。和紙は靱皮繊維が水素結合した構造をしています。これは親水性があるということです。こうすることにより襖は湿度の高い時には湿気を吸い込み乾燥時には湿気を放出するということを繰り返しています。そして襖全体がふっくらとして仕上がり外からの不快に感じる音さえもやわらかくする効果があるのです。ちなみにこうした機能は伝統的な日本家屋では襖だけではなく畳、柱、壁などすべてが備えていました。
さらに現代では人類にとって深刻な問題となっている環境問題の観点から襖をみてみましょう。 襖に使用される一般的な芯材や縁は製材からでる端材を使用しています。また、和紙は栽培可能な低木類(高さ3m以下)の楮(くわ科)、三椏(ジンチョウゲ科)などの皮を原料としています。これらの原料の生産性は極めて効率的で廃棄物の発生も抑制的であります(リデュース)。
そのうえ襖の下張り工程の「うけ張り」が浮かして張られているため、張り替えの時には「うけ張り」の紙と襖の紙が簡単に剥がすことができるような仕組みになっています。このことはかなり長期間にわたり芯材を取り換えることなく何度でも張り替えることが可能になっています。縁についても芯材との接合は隠し釘によるものなので脱着も容易にできます(リユース)。
日本の古紙回収率は2016年では81.2%でリサイクル率は64.2%です(公益財団法人古紙再 生促進センター)。襖の張り替え時には全国で大量の襖紙が廃棄されますが押入れに使われる雲華紙や一般的な下張り用の紙である茶ちり、ちり受けなどは古紙からつくられています(リサイクル)。ちなみに日本では「宿紙-しゅくがみ」といって昔は紙が貴重であったため平安時代より用済みとなった紙を原料に戻し漉き返すなどリサイクルをしていました。
このように襖というものは科学という言葉さえなかったはるかな時代より時を経てなお今日住宅空間をしきる用具として使われています。このことは単にその時代ごとの経済活動の結果ということではなく日本人のDNAが持っている自然に対する洞察力、自然観、神や仏への宗教観などを濃縮したエキスのようなものであるとも考えられます。
今、人類は科学技術の目覚ましい進歩を享受しながら片方ではオゾン層の破壊、地球温暖化、熱帯林の破壊や生物多様性の喪失などの環境問題やエネルギー問題を抱えています。そして未来に向けて現代の文明をどのようにして持続して発展させることができるかを模索しているなかでユネスコは「持続可能な開発のための文化」というものにその活路を見出そうとしていますが、襖振興会は襖や和室もその文化の一つであると考えます。
ふすま紙
原料から作り方など色々な紙があります。
本鳥の子
雁皮・三椏・楮などの靱皮せんいを原料にした手漉きの紙で、美しく長持ちします。上質なカラスの子ほど施工時には下地骨や下張紙に十分な配慮が必要です。
鳥の子
本鳥の子が手漉きで作られますが、鳥の子は機械で漉きます。さまざまな技術によって神の風合いも、手漉きに近いものが出来ます。
上新鳥の子
全て機械漉きです。好き模様や後加工による様々な図柄があります。
新鳥の子
ふすま紙の中では安価のもので、製紙・柄付けとも機会により一貫生産されています。
上級織物
主としてトビー織など縦糸・横糸ともに糸目の詰んだ高級な織物ふすま紙です。加飾される絵柄も一枚ずつ丁寧に加工されます。
中級織物
長繊維のレーヨン糸やスプライト・ネップ糸等の意匠撚糸で織っています。絵柄は手加工や最新の技術を駆使して加工し、上品な柄が数多く用意されています。
普及品織物
低価格な織物のふすま紙です。絵柄は特殊輪転・オフセット・スクリーン印刷機などで加工されます。
一般社団法人 日本襖振興会HPから引用
まとめ
ふすまの歴史から素材の事までお話してきましたが、実際に違いはどんな感じで何だろうと思いますよね。
そんな時はに、当社のショールームにご来店いただきますと、数シュルですが、現物の襖を見ることが出来ますし、見本帳もご用意しておりますので、
見て触ってくらべて下さい。
畳との色合わせ屋などの相性も見比べることもできます。
ショールームの360℃カメラ映像はこちら。
ふすまの張り方についての記事はこちら。
動画が正しく表示されない場合はこちらをご覧ください。
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